或る休日と廃校のグラウンド

 朝、家を出た。副都心線に乗って、千川駅で降りる。この駅は初めて降りる。豊島区旧第十中学校校庭を目指して歩く。迷うかなと思って携帯の画面に道順の案内を表示しておいたが、周りの人が明らかにそこに向かって歩いていたので、なんなく着いてしまう。追加販売の立見席チケットだったので、着席する人が入るまでしばらく持ってきた本を読む。今日カバンに入っているのは、『将棋世界』最新号、『Number』日本ラグビー特集号、謡本『鉢木』と『紅葉狩』、原田マハ『楽園のカンヴァス』文庫本。しばらくすると、立見客も番号順に整列して入場し、運よく中央後方の一番いい位置に陣取ることができる。天気も快晴。晴れてよかった。観に来たのは、フェスティバル/トーキョー参加作品の飴屋法水『ブルーシート』。

 深く感動した。人は体験したことを忘れることもできるし、憶えていることもできる、という台詞は、これからも長く私の中に残るだろう。9人(オリジナルの上演から妊娠による不在1名、キャストの入れ替わり1名)の現・元高校生によるこの演劇は、原発事故というテーマを扱いつつもそれを前景化しすぎることなく、役者一人一人が事故後にいわき市で、また、その後地元を離れて経験した様々な出来事と感情を、時に軽やかに、時に真摯に、時に詩的に、例えば、ブルーシートに包まれた得体の知れないものといった印象的なモチーフを使いながら、淡々と描き出していく。グロテスクでうつろいやすい世界が結晶化して、とても美しいものを眺めているような、普段演劇を見ていて感じたことのないような、独特な感興を覚えた。
 同時に、これは「作品」というより「出来事」なのではないか、という想いも同時に湧いた。つまり、この作品は、この若者たちが、この年齢で演じているからこうなるのであって、本当の意味では再現不可能なものなのだろうとも思った。端的にいうと「奇跡」という単語が頭に思い浮かんだ。
 見終わった後で、会場で売っていた『ブルーシート』の脚本の入った本を買い、駅に帰るまでと、電車で移動する間に読み続けたのだが、そこに岸田戯曲賞受賞時の審査員の選評が小冊子になって付いていた。ざくっとまとめると、岩松了岡田利規の2人は、「作品」ではないので戯曲としては評価できない(でも受賞には反対しない)、という意見。野田秀樹宮沢章夫の2人は、「出来事」で十分だし、これだけ優れているのに評価しないわけにはいかないでしょう、という意見(おもしろいことに、宮沢章夫は、「奇跡」という言葉を選評に使っていた)。松田正隆は、わかっていてあえて論評を避けているような感じ。
 「作品」じゃないな、と感じるにせよ、「出来事」で十分では、と感じるにせよ、この『ブルーシート』という作品には、それを観た人間に届くある種普遍的なイメージの喚起力や浸透力があることは間違いないように思う。飴屋法水の作る作品がいつも傑作かどうかは私にはわからない。これまで、それほどいい飴屋作品の観客ではなかった。でも、この作品は、私は間違いなく傑作だと思う。例え、二度とこの作品を観ることがかなわなくても。むしろ、そうであるがゆえに、なおさらそう思う。