「阿漕」と絶望、または、ムンクの「叫び」

 最近、書くことが能の関係に偏っているが、別に能ばかり見に行っているわけではなく、それ以外のものも見に行っているのだが、書こうとするとなぜか能の舞台のことになってしまう。これは、恐らくバイオリズムのようなもので、たまたま能を見ると反応する何かが自分の中に今は強くある、ということなのだと思う。
 さて、この間、渋谷のセルリアンタワー能楽堂友枝昭世さんのろうそく能「阿漕(あこぎ)」を見た。友枝さんの技量は誰もが認めるもの(例えば、3月の観世能楽堂さよなら公演の「屋島」の仕舞で、軽々と舞台上にかもめの舞い飛ぶ屋島の景色を現出してみせたのはさすがに驚倒した)であって、私も印象的な舞台は過去何度も見てきた。他方、国立能楽堂クラスの会場でも易々と満席にしてしまう動員力もまた別格で、出遅れてチケットが取れなかったり、席が遠すぎて今ひとつぴんと来なかったりした舞台もあった。その点、一年に一度くらい行われるセルリアンタワーでの友枝さんの公演は、後ろの席でも舞台に十分近く、値段が高いのが玉に瑕だが、隠れた穴場として結構気に入っている。
 「阿漕」という演目は、「藤戸」や「善知鳥(うとう)」と同じく、能としては珍しく無名の庶民が主人公になっており、生活のために禁制を破って漁をしていた貧しい漁師が、それが発覚して海に沈めて殺され、後年そこを通った旅の僧に後生の弔いを頼む、といった筋である。
 今回、特に印象に残ったのは、前場の最後のところ、前シテの漁師(実は死んだ漁師の化身)が突然声をあげて(といっても実際に声を出すわけではなく、地謡がそのように謡うだけなのだが)、自分の杖を振り捨てて後ろににじり下がるときの面の表情である。ここは、漁師が海に沈められた際の経験を再度繰り返している部分なのだが、その瞬間のシテの面には、限りない絶望、役柄やストーリーを超えた、絶望そのもの、としか表現できないようなものが張り付いていた。
 勿論、その後も舞台は続いていたわけだが、あの表情はなんだったのだろうか、ということがずっと気になっていた。後シテの演技をみながら、ふと思い出したのが、ムンク「叫び」、である。この絵を最初に見たのは岡山の大原美術館で、ある程度大人になっていたので、その不可解さに戸惑うことはなかったのだが、なんと言っても不気味な絵ではある。あれも、特定の個人が叫んでいるのではなく、叫ばざるを得ないような不安そのものを描いたもの、と捉えるべきなのだろう。
 この方面で話を詰めていくと実存主義っぽくなるので、それは本意ではないのだが、抽象ではなく、具象でありながら普遍的、という表現が確かにありえる、ということなのだと思う。ただ、それが芸術という世界における表現に留まるものなのか、それを超えていくものなのか、ということについては、哲学・美学に疎い私には手に余る問題である。