本を買う理由、または、積まれていくものへの言葉

何かの拍子に本を買うと止まらなくなる。恐らく、全治一生の「本を買わないと死ぬ」病にかかっているのだと思う。家のスペースの都合で、なるべく文庫か新書を買うようにしているのだが、どうしても単行本や大型本を買ってしまうこともあり、難儀である。
また、買った本の殆どは積まれていく運命にある。いつか読むだろうという理由で買っているわけではなく、本を買うという行為だけで既に半分くらいは読み終わっているのだ、と開き直っている。読むことは余禄であり、その意味で、純粋な楽しみでもある。
なので、最近買った本の、読書感想文ではなく、読書前感想文もしくは購入感想文を書こうというのがこの文の趣旨である。
 ちなみに、今読んでいる本は、『戦争画リターンズ-藤田嗣治アッツ島の花々』平山周吉(芸術新聞社)だが、カバンに入れると重くて持ち運ぶのが大変なので、早く読み終わりたいものだと願っている。

・『将棋世界8月号』(日本将棋連盟
 『週間将棋』の休刊(多分、事実上の廃刊)は、アナログ派の「観る将」(=「観る将棋ファン」)としては近年の痛恨事で、今や『将棋世界』だけが頼みの綱である。今年の名人戦については、詳細はフォローしていないものの、ようやく訪れた本格的な世代交代の刻を告げる戦いだったのでは、という予感がしているので、佐藤新名人のインタビューだけはすぐ読んだ。土台を固めたかったので、若い頃はすぐに結果がでないような研究を中心にやっていた、という発言に驚愕。今まで、こんなことを言った棋士がいただろうか、記憶にない。渡辺竜王もそうだが、発言が面白いことは、今の棋士に求められる才能の一つなのではなかろうか。

・『科学の発見』スティーブン・ワインバーグ文芸春秋
 週刊文春の「文春図書館」で紹介されていたので購入。思っていたより厚く、すぐ読むかどうかは微妙。古代や近世初期の西洋哲学が科学的に見るとトンデモというのは、実感としてはその通りだと思うが、どういう切り口でそれを語るのかに興味がある。

・『物語イギリスの歴史(上)(下)』君塚直隆(中公新書
 METオペラで何年かに渡って新制作されていたドニゼッティチューダー朝三部作『アンナ・ボレーナ』『マリア・ストゥアルダ』『ロベルト・デヴェリュー』が2015-2016シーズンで完結した。今年夏のMETライブビューイング・アンコールで三部作が全てアンコール上映されるので、その予習用に購入。シェイクスピア没後400年つながりでもある。

・『シェイクスピア河合祥一郎中公新書
 今年はシェイクスピア没後400年、ということで、松岡和子や河合祥一郎の本をいくつか読んだのだが、新刊はまだだったので買ってみた。中味は全く知らない。何冊か読んだ感想として、シェイクスピアの歴史劇を見たいなと思った。過去には、一度だけニューヨークのリンカーンセンターシアターで見て、英語が全く聞き取れずに撃沈したので、リハビリも兼ねて日本語で見たいのだが、今年の秋にやる野田+オンケンセンの『さんだいめ・りちゃあど』だと余りに変化球すぎるだろうか。

・『浮標』三好十郎(ハヤカワ演劇文庫)
 夏にKAAT(神奈川芸術劇場)でやる再演のチケットを買ったので予習用に購入したのだが、はたして見る前に予備知識を入れたほうがいいのかどうか、ちょっと悩んでいる。

・『コペンハーゲン』マイケル・フレイン(ハヤカワ演劇文庫)
 新国立劇場の初演は見ており、少し前に世田パブ(=世田谷パブリックシアター)でやっていた再演は、演出が小川絵梨子だったこともあり観たかったのだが、スケジュールがあわず残念ながら未見、ということで買ってみた。再演しないかなぁ。

・『谷川俊太郎詩集』(岩波文庫
 6月初旬に、ギンズバーグの詩にフィリップ・グラスが音楽を付けて、それをパティ・スミスが朗読し、翻訳字幕は村上春樹柴田元幸が作る、という色々な意味で興味深い企画がすみだトリフォニー・ホールであり、さらに、6月下旬に、池袋の芸劇プレイハウスでロベール・ルパージュの一人芝居『887』を見に行って、クライマックスで朗読されるミシェル・ラロンドの詩「Speak White」を聞いて、ある社会における詩のもつ力について考えをめぐらしたこともあって、でも日本で『887』を作るとすれば最後は谷川さんじゃないよなぁ、やっぱり石牟礼さんかなぁ、詩じゃないけど、などと思いつつ購入。ちなみに、近代美術館の吉増剛造展には行くつもり。

・『チャイナ・メン』マキシーン・ホン・キングストン新潮文庫
・『宇宙ヴァンパイヤー』コリン・ウィルソン新潮文庫
 現在進行中の村上・柴田翻訳堂を応援するため、毎月買っている。読まなくても買うのが真のサポーター。

・『殿様の通信簿』磯田道史新潮文庫
・『江戸の備忘録』磯田道史(文春文庫)
 最近、BSプレミアムの「英雄たちの選択」を何回か見て、司会をしている磯田さんの本を読んでもいいかな、ただし、文庫で、と思っていたので購入。

・『YOKAI NO SHIMA』シャルル・フレジェ(青幻舎)
 画廊じゃない銀座の5大ギャラリーは、私見では、番地の若い方から、ポーラミュージアムアネックス、シャネルネクサスホール、メゾンエルメスフォーラム、GGG(銀座グラフィックギャラリー)、資生堂ギャラリーなのだが、センスの良さでいうとエルメスが抜けていると思う。とにかく、企画に外れがない。これもメゾンエルメスフォーラムでの展示をまとめた写真集だが、習俗を切り取るフレーム力が卓越していて、見ていて飽きない。

・『江戸の悪-浮世絵に描かれた悪人たち』(青幻舎)
 浮世絵も見ようと思えば結構色々なところで見られるが、ビジュアル文庫としてコンパクトにまとまっていて、浮世絵好きだけでなく歌舞伎好きにも楽しめる内容になっている。青幻舎は個人的には最近一押しの出版社。

・『オカルト』森達也(角川文庫)
 映画最新作の『Fake』で久しぶりに森達也の名前を認識したこともあり、文庫の平積みに手が伸びた次第。個人的には全くオカルト系に興味がないのだが、そういう人でも大丈夫そうな気がした。でも、それが正しいかどうかは読んでみないとわからない。

・『映画を撮りながら考えたこと』是枝裕和(ミシマ社)
 是枝さんの作品をたくさん見ているわけではなく、むしろ、弟子の西川美和の作品のほうが多く見ているくらいなのだが、それでも買っておいたほうがいいような気がしたので買ってみた。買ってから気がついたのだが、この出版社の本を買うのは、これが初めてのような気がする。最近映画関係の本は新しい出版社から出ていることが多いような気がするのだが、それも気のせいだろうか。

或る休日と廃校のグラウンド

 朝、家を出た。副都心線に乗って、千川駅で降りる。この駅は初めて降りる。豊島区旧第十中学校校庭を目指して歩く。迷うかなと思って携帯の画面に道順の案内を表示しておいたが、周りの人が明らかにそこに向かって歩いていたので、なんなく着いてしまう。追加販売の立見席チケットだったので、着席する人が入るまでしばらく持ってきた本を読む。今日カバンに入っているのは、『将棋世界』最新号、『Number』日本ラグビー特集号、謡本『鉢木』と『紅葉狩』、原田マハ『楽園のカンヴァス』文庫本。しばらくすると、立見客も番号順に整列して入場し、運よく中央後方の一番いい位置に陣取ることができる。天気も快晴。晴れてよかった。観に来たのは、フェスティバル/トーキョー参加作品の飴屋法水『ブルーシート』。

 深く感動した。人は体験したことを忘れることもできるし、憶えていることもできる、という台詞は、これからも長く私の中に残るだろう。9人(オリジナルの上演から妊娠による不在1名、キャストの入れ替わり1名)の現・元高校生によるこの演劇は、原発事故というテーマを扱いつつもそれを前景化しすぎることなく、役者一人一人が事故後にいわき市で、また、その後地元を離れて経験した様々な出来事と感情を、時に軽やかに、時に真摯に、時に詩的に、例えば、ブルーシートに包まれた得体の知れないものといった印象的なモチーフを使いながら、淡々と描き出していく。グロテスクでうつろいやすい世界が結晶化して、とても美しいものを眺めているような、普段演劇を見ていて感じたことのないような、独特な感興を覚えた。
 同時に、これは「作品」というより「出来事」なのではないか、という想いも同時に湧いた。つまり、この作品は、この若者たちが、この年齢で演じているからこうなるのであって、本当の意味では再現不可能なものなのだろうとも思った。端的にいうと「奇跡」という単語が頭に思い浮かんだ。
 見終わった後で、会場で売っていた『ブルーシート』の脚本の入った本を買い、駅に帰るまでと、電車で移動する間に読み続けたのだが、そこに岸田戯曲賞受賞時の審査員の選評が小冊子になって付いていた。ざくっとまとめると、岩松了岡田利規の2人は、「作品」ではないので戯曲としては評価できない(でも受賞には反対しない)、という意見。野田秀樹宮沢章夫の2人は、「出来事」で十分だし、これだけ優れているのに評価しないわけにはいかないでしょう、という意見(おもしろいことに、宮沢章夫は、「奇跡」という言葉を選評に使っていた)。松田正隆は、わかっていてあえて論評を避けているような感じ。
 「作品」じゃないな、と感じるにせよ、「出来事」で十分では、と感じるにせよ、この『ブルーシート』という作品には、それを観た人間に届くある種普遍的なイメージの喚起力や浸透力があることは間違いないように思う。飴屋法水の作る作品がいつも傑作かどうかは私にはわからない。これまで、それほどいい飴屋作品の観客ではなかった。でも、この作品は、私は間違いなく傑作だと思う。例え、二度とこの作品を観ることがかなわなくても。むしろ、そうであるがゆえに、なおさらそう思う。

「阿漕」と絶望、または、ムンクの「叫び」

 最近、書くことが能の関係に偏っているが、別に能ばかり見に行っているわけではなく、それ以外のものも見に行っているのだが、書こうとするとなぜか能の舞台のことになってしまう。これは、恐らくバイオリズムのようなもので、たまたま能を見ると反応する何かが自分の中に今は強くある、ということなのだと思う。
 さて、この間、渋谷のセルリアンタワー能楽堂友枝昭世さんのろうそく能「阿漕(あこぎ)」を見た。友枝さんの技量は誰もが認めるもの(例えば、3月の観世能楽堂さよなら公演の「屋島」の仕舞で、軽々と舞台上にかもめの舞い飛ぶ屋島の景色を現出してみせたのはさすがに驚倒した)であって、私も印象的な舞台は過去何度も見てきた。他方、国立能楽堂クラスの会場でも易々と満席にしてしまう動員力もまた別格で、出遅れてチケットが取れなかったり、席が遠すぎて今ひとつぴんと来なかったりした舞台もあった。その点、一年に一度くらい行われるセルリアンタワーでの友枝さんの公演は、後ろの席でも舞台に十分近く、値段が高いのが玉に瑕だが、隠れた穴場として結構気に入っている。
 「阿漕」という演目は、「藤戸」や「善知鳥(うとう)」と同じく、能としては珍しく無名の庶民が主人公になっており、生活のために禁制を破って漁をしていた貧しい漁師が、それが発覚して海に沈めて殺され、後年そこを通った旅の僧に後生の弔いを頼む、といった筋である。
 今回、特に印象に残ったのは、前場の最後のところ、前シテの漁師(実は死んだ漁師の化身)が突然声をあげて(といっても実際に声を出すわけではなく、地謡がそのように謡うだけなのだが)、自分の杖を振り捨てて後ろににじり下がるときの面の表情である。ここは、漁師が海に沈められた際の経験を再度繰り返している部分なのだが、その瞬間のシテの面には、限りない絶望、役柄やストーリーを超えた、絶望そのもの、としか表現できないようなものが張り付いていた。
 勿論、その後も舞台は続いていたわけだが、あの表情はなんだったのだろうか、ということがずっと気になっていた。後シテの演技をみながら、ふと思い出したのが、ムンク「叫び」、である。この絵を最初に見たのは岡山の大原美術館で、ある程度大人になっていたので、その不可解さに戸惑うことはなかったのだが、なんと言っても不気味な絵ではある。あれも、特定の個人が叫んでいるのではなく、叫ばざるを得ないような不安そのものを描いたもの、と捉えるべきなのだろう。
 この方面で話を詰めていくと実存主義っぽくなるので、それは本意ではないのだが、抽象ではなく、具象でありながら普遍的、という表現が確かにありえる、ということなのだと思う。ただ、それが芸術という世界における表現に留まるものなのか、それを超えていくものなのか、ということについては、哲学・美学に疎い私には手に余る問題である。

仮面と光、または、とある能楽堂の午後の出来事

能評家の村上湛が今月の観世会の小冊子に掲載されている小文で少し触れているように、能楽堂が明治以降建物の中に取り込まれたことで達成した演技の精緻化には驚くべきものがある。本当にいい舞台にめぐり合えたときの、この瞬間が凍結されたまま永遠に続くのではないか、と思えるほどの凝縮感は室内空間ならではのものであり、野外の能舞台では味わえないものであろうと思う。他方、記憶があやふやで申し訳ないのだが、確か友枝昭世さんが、本願寺能舞台でシテを勤めたあとの感想として、陽のあたらないうす暗闇の中に居ることで「クツログ」という言葉の真の意味を体感できた、と書いている文章を以前読んだ記憶がある。自然光による空気感は、ライトによる無機質な光と明らかに違っており、光と影のコントラストによる独特の雰囲気を醸し出すのに適している。
 内と外の対比、ライトの光と自然の光の対比。能楽堂における光のあり方というのは最近とみに気になっていることの一つなのだが、その意味でユニークなのは中野にある梅若能楽会館である。観世能楽堂の移転に伴い、現在観世定期能は梅若能楽会館で開催されており、これまでこの舞台には殆ど来たことがなかった私も足繁く通うようになった。ここの舞台の一番の特徴は、窓ガラスがあって外光が取り入れられているということで、ライトと自然光がブレンドされて微妙な空気感が舞台上に現れる場合があるのだ。先月の観世定期能で野村四郎さんの「三井寺」を観ていた時のことだが、笠を被っている前シテの面が、梅若能楽堂の暮れ方に向かい薄く差し込む光と無機質なライトが作り出す微妙な空気感の中で、この世のものとは思われぬ憂いの表情を醸し出していることに気がついて、視線が外せなくなってしまった。まさに、釘付けである。変な例えだが、「夜目、遠目、笠の内」というのをはじめて実感した。ところが、一旦シテが笠を脱いでしまうと、ライトのほうの影響が強くなって2つの光の微妙なバランスが崩れてしまい、私の魔法の時間も突然に雲散霧消してしまった。
 あの笠の内の女性にまた出会えるとしたら、どこでどのような光の下でなのだろうか。昼下がりの能楽堂の座席で、まるで夢が醒めたあとのようなけだるさを感じながら、そんなことをぼんやり考えていた。

原典と模倣の間にあるもの、または、日本のオリジナリティについて

 NHKのクラシック番組の「らららクラシック」を見ていたら、武満徹の合唱曲が取上げられていて、ゲストで来ていた“あまちゃん”の大友良英さんが、武満徹の音楽はクラシックやジャズや日本の古典楽曲や流行歌などあらゆるものが武満徹という人間のなかで混ざり合ってできた唯一無二のものだ、といった感想を述べていました。
 また、画家の山口晃(余談ですが、ゴールデンウィーク前後に水戸芸術館でやっていた山口晃展「前に下がる 下を仰ぐ」は素晴らしいものでした。この人はいつどんな時代に生まれても絵を描いていたのだろうと思います)は、著書の『ヘンな日本美術史』の中で、日本の美術史に起こったことというのは外国から無節操に受け入れたものを何代にもわたってああでもないこうでもないとひねくって日本独自のものに変えてしまうことの繰り返しであり、そのことを日本にはオリジナリティがない、と言われてしまうのだが、本質がわかっていないとちゃんとずらすことはできないのであって、その「こねくり力」こそが日本のオリジナリティなのだ、と書いています。
 また、劇評家の渡辺保は、梅原猛観世清和が監修した『能を読む(1) 翁と観阿弥 能の誕生』の中に収められている小文「能-二つの視点」で、俊寛という日本の古典において非常にポピュラーな題材を取上げて、平家物語、能、文楽、歌舞伎、倉田百三の戯曲という5つの俊寛ものの作品の中で、流刑地である鬼界ヶ島がなぜ作品によって異なる舞台設定(無人島か否か、島民はどんな人たちか、等)になっているのかの理由を、俊寛という話を取上げるに際して表現したい力点がそれぞれに異なることによる必然的なものであった、と考察しています。
 分野は音楽・美術・舞台と違いますし、内容そのものも少しずつ違うことを言っているのですが、私にはこれら3つの発言はどれも同じことを意味しているように思います。約めていえば、日本においてオリジナリティというのは原点を模倣し、それを重ねた先に立ち現れるものである、ということかと思います。テーマとバリエーションを繰り返した先に、バリエーション自体が最後にはテーマになってしまう、と言ってもいいかもしれません。ここでポイントなのは、時間の経過がそこに読み込まれている、ということかと思います。全く同じものが繰り返されているように見えても、それは単なる模倣ではなく、時間を経過して変化が読み込まれている分オリジナルになっているわけです。白紙に円を描くとき、上から見ると一周回って単に元のところに戻っているように見えても、始まりと終わりとでは何かが違う、その円を描くという行為分だけ新しい境地に至っているということでしょうか。
 上で紹介した渡辺保の文章には、日本と西洋の演劇の違いとは、日本の古典芸能にとって演技は芸であり日々変化する「肉体」を通して更新されていく一義的なリアルさを追求しないものだが、西洋における演技はそれとは異なり、いかに一義的なリアルさを演技に持たせられるのかを指向している、という文章が続きます。このリアルさと肉体の関係性の違いは、原点と模倣の関係性による日本と西洋のオリジナリティの捉えかたの違いに深いところで結びついているように思うのですが、この話を続けるには、まだ私自身の考察が足りないようです。今日の話は、円を回りきらずに途中で止まってしまいましたが、いずれ元のところに戻って日本的なオリジナリティを獲得できるように、私もこのテーマをもう少しこねくって見たいと思います。

時代劇と歌舞伎の間−明治座五月花形歌舞伎公演『男の花道』を観て

 明治座五月花形歌舞伎公演をブログやSNSに感想を書くと、プログラムと昼食付きでチケット代も割安になるという大変お得なセットで観に行きました。とても、いい企画だと思います。明治座だけでなく、他の劇場でもぜひやってほしいです。
さて、猿之助さんと愛之助さんがメインの座組みで、中車さんも出るのが話題になっていますが、昼の部の『男の花道』が大変興味深いお芝居でした。
もともとが長谷川一夫さん主役の映画だったということもあり、新派の『鶴八鶴次郎』や映画の『残菊物語』のような芸道もので、歌舞伎というより時代劇の色彩が強いものかと思いますが、今回、一番感心したのは、昔目の手術をしてもらった玄碩(中車が好演)からの手紙を舞台上で受け取った歌右衛門猿之助)が、舞台を途中で止めて、これから玄碩のところに行かせてほしい、と、定式幕を閉めた前で観客に訴えるシーンです。これは、劇中の観客と実際の観客が二重写しになっており、必死で理由を説得する歌右衛門に対し、客席の後方に陣どった役者がそれに対して憤ったり、最後には応援したりといった段取りで進むのですが、平成27年の年齢性別出身も多様な観客を、歌右衛門を一目見ようとやってきた江戸時代の観客に見立てて説得するというのは大変な力技です。普通にやれば、まず失敗間違いなしという高すぎるハードルだと思います。恐らく、これがそれほどの違和感なしで成立するのは、役を演じている役者と役の歌右衛門が無理なく二重写しで見えるほどの大スターが、有無を言わさぬ存在感で観客の違和感をねじ伏せたときだけだと思います。
私が猿之助さんはすごいなと思うのは、まず、そのような難しさがあることを承知の上でこの演目を選んだこと、さらに、とびきりの熱演によって、演劇としてこの場面を成立させたことです。素直に感心しました。
実際、長谷川一夫花柳章太郎のような、歌舞伎や芸事の要素が演目の中に入ってきてもさらりとこなせるような男優は、現代においては歌舞伎役者しかいないわけなので、特に、この手の演目は歌舞伎役者として年齢を積み重ねるとだんだんとする機会もなくなっていくであろうことを考えると、このタイミングで猿之助さんがこの演目を選んだのは至極真っ当であったかと思います。
 あと、その前の市川右近さんの『矢の根』についても一言だけ。歌舞伎十八番のなかでもこの演目は、稚気で見せるか、踊りで押すか、というのが普通だと思いますが、右近さんの行き方としては、むしろ、昔、歌舞伎座で十七代目の羽左衛門さんが、結果的に最後の演目として『矢の根』をやったことがありますが、そこを目指して写実的・実事的な要素を磨いていくほうが合っているのではないかと思いました。

一を聞いて十を知る: 四月大阪文楽公演「熊谷陣屋」を観て

大阪まで二代目吉田玉男襲名披露公演を観に行ってきた。襲名の演目は「熊谷陣屋」。文楽でも歌舞伎でもとてもポピュラーな演目だし、文楽なら先代玉男の舞台、歌舞伎なら吉右衛門歌舞伎座さよなら公演など、名演も数多い。そういう「これ観るの何回目かな〜」というお馴染みの演目で思わぬ発見があり、だからこそ古典は面白い、というのが今回のお話。

文楽ではだいたいあるが歌舞伎だとカットされてしまう「熊谷陣屋」の前の段(正式な名称では「熊谷桜の段」)というのがある。この冒頭で、陣鉦陣太鼓(戦場における戦の合図で、黒御簾内で鉦や太鼓を鳴らす効果音。歌舞伎や文楽の時代物でよく出てくる)がチャンチャン、チャンチャンと鳴るのだが、その音を聞いた瞬間、私の「熊谷陣屋」という舞台への印象がまるで変わったのだ。正確に言うと、「なるほど、そういうことだったのか」と思ったのです。

これまでの私は、「熊谷陣屋」というのは、上司である義経から無理難題を押し付けられた熊谷が一人息子を身代りとして差し出すという究極の犠牲行為によって難題を解決へ導くものの、息子を手にかけなければならなかったことを悔やんで出家する話で、義経の指示が弁慶の書いた桜の制札の謎解きという曖昧な形で提示されるがゆえに正解であるという確信なく犠牲を迫られるある意味日本型社会における中間管理職的悲哀の典型、という見方をしていた。他方、歌舞伎版の「十六年は一昔」という名台詞に象徴される極めて印象的な花道の引っ込みについては、妻の相模に断りなく勝手に出家してしまっていいのか、という疑問も抱いていた。

こうした見方そのものが今回まるっきり逆転したということではないが、私の中で「わかった」ことを文字にしてみると次のようになる。

1.陣屋は戦場の中にあり、自らの子を身代りにした熊谷の選択は「非日常的な戦場という極限状況における選択」であって、妻の相模や出家のことは極限状況で取った行動に後から日常的な意味づけを行うことにより回帰的に導かれたのではないのか。

2.つまり、相模、藤の方、梶原、弥陀六、義経など、次の「熊谷陣屋の段」に登場する人物たちは「熊谷桜の段」で熊谷に断りなく次から次へと陣屋に押しかけてきた人々で、熊谷としてはこういった人々が敦盛もしくは小次郎のことを気にかけて陣屋にやってくるのは想定外だったのではないか。言い換えれば、熊谷にとっては自分の子供を身代りにするという究極の選択は既に過去の行為として自分の中では完結しており、後はそのことを義経に首実検という形で報告するだけ、その前に身支度を整えるため陣屋に寄っただけなのに、帰ってきてみれば次々と想定外の人々が目の前に現れて、図らずも自らの行為の意味づけをせざるを得なくなった、ということではないのか。熊谷は戦場すなわち非日常的空間である陣屋で、期せずして家庭や政治や過去の因縁といったある意味日常的なものと直面しなければならなくなったのではないか。

3.ここでクローズアップされるのが、敦盛の首を討ったと熊谷が仕方話をする場面である。舞台上では相模と藤の方がそれを聞いているわけだが、実は、梶原も弥陀六も義経も同じ話を裏で聞いているという設定になっている。つまり、様々な利害関係を持った立場を異する関係者全員(もちろん、観客も)が、舞台の表と裏で一斉に熊谷の話に聞き入っている。熊谷は、自分が行った行為について、関係者全員がそれぞれ納得できるような話を即興でしおおせなくてはならない、わが子を身代りにするのとはまた別の種類の、しかしながら等しくきわめて困難な状況に置かれることになる。そして、熊谷はそれに成功する。

4.この困難度に比べれば、後の首実検の場面では義経だけを念頭に話をすれば良いので、演劇的には最大の見せ場ではあっても熊谷にとってはむしろたやすいことではなかったか。非日常的な戦場という極限状態における選択と、立場の異なる関係者全員への説明によりその行為の日常的意味づけを行った熊谷は、最後に出家という形で戦場からも日常からも遠ざかる決断をすることになる。

5.つまり、ここでの熊谷に投影すべきなのは中間管理職的悲哀といった日常的な人間の姿ではなく、究極の状況において過酷な選択を迫られ、さらに予期せず家族や関係者から説明を求められながら、そこに解決策を見出して最終的には自らの決断で俗世から去っていくという、神話的・英雄的人物の決断と孤独を描いているのではないだろうか。そうであれば、妻である相模が最初から何の相談もされていないことも、その近寄りがたい人間像にアプローチを試みるため歌舞伎では幕切れにより人間的な台詞やエピソードが追加されたことも納得できる。

もちろん、これだけのことを一瞬で考えた訳ではないが、この「わかった」という感覚は何なのかと思いつつ、その後を観た結果としてこうなった。長々と書き連ねたが、言いたいことは「文楽前場は大事なのでちゃんと見よう」ということに尽きる。それが確認できただけでも今回大阪まで行った甲斐があった。