白洲正子と鼓の二打ち

先日、ある機会があり、20人くらいの外国人を相手に能狂言の解説をした。1時間の予定だったのだが、ビデオやDVDを見せているうちに興がのってしまい、結局20分ほどオーバーしてしまった。全くの偶然だが、使った狂言のDVDに収録されていた演目(「附子」「濯ぎ川」)が両方ともその場に自分が観に行っていたものだったのが妙におかしかった。

さて、レクチャーをする前に気分を能らしくしようかなと思い、白洲正子お能・老木の花』を読んだのだが、『お能』のほうは書いてある内容が難しくて逆に考え込んでしまった。私には、『お能』での白洲正子の態度は、玄人が能を極めるのと同じようなあり方で能に接することを理想としているように思えたのだが、その余りの困難さにちょっとめまいがした。約すると、能の玄人がただ只管に舞と謡を練習しつくすことで余人を持って到達できない何らかの境地に到達するように、観客もただ只管能を見、能に向き合うことでよき観客となる、ということなのだろうが、そのようなことが可能なのは白洲正子を含む、ごく限られた人間だけなのではなかろうか。部分だけよくても仕方がない、能は中心がない丸いものなのだから、一部が全体であり、全体もまた一部なのだ、という謎めいた話が冒頭近くにでてくるが、『お能』という本自体の印象もこれに似ている。今の私にはレベルが高すぎるので、もう少し能のことがわかるようになったときに、再度読んでみようと思う。

それに比べると併録されている梅若実聞き書き、と友枝喜久夫のことを綴った『老木の花』は、かなり読者にも親しみやすい文章になっている。正確に言うと、聞き書きでは白洲正子の質問に答える梅若実が、『老木の花』では友枝喜久夫のことを語る白洲正子が、とても楽しそうなのである。こういう文章は読むほうも楽しくなるし、『お能』にこの2つを組み合わせた編集者のセンスが光っている。

個別と全体の話にもう少し拘ってみたい。私は能一番を全体として観賞できる境地にはまだ到底達していないので、能の見方は、演目についての知識を予め(大まかにだが)仕入れてから会場に行き、それでも眠くなったら素直に眠り、でもおおこれはっ、というところはカッと目を見開いて見て、観終わった後でそのことをつらつら考える、というごくありふれたものにすぎない。これは何も能に限ったことではなく、洋の東西を問わずクラシックの作品に臨む時にはいつでもそうしている。ただ、能についていうと、自分で謡や舞をやってみることからアプローチしていないという意味では、実は鑑賞者としてはとても珍しいスタイルなのではないかと思っている。そのようなスタイルをとる必然の結果として、どうしても演目全体ではなく、演目中のある個別の場面や演技、出来事と結びついた印象として演目を記憶していくことが多くなる。能の場合は、特にその傾向が強いようで、大抵は後場のある場面のシテの面の表情に釘付けになるというパターンが多いわけであるが、例えば、先日見た、大槻文蔵のシテによる「木賊」(とくさ)で、大鼓の亀井忠雄が打った鼓の二打ちはまさにそのようなものであった。うろ覚えではっきりどの場面といえないのが残念なのだが、全体でいうとおよそ半ばすぎあたりで、亀井忠雄は、突然(と私には見えた)、カッ、カッと二度、鼓を打ちつけた。その音は、一つの音の矢となって、私の体を貫通し、はるか彼方へと消えていった。あの鼓の音は、今でも耳の奥に残っており、忘れ得ぬこの鼓の二打ちをもって、私は「木賊」を記憶することになるだろう。でも、それが「木賊」という能の全体を現しているのか、また、「木賊」という能がその二打ちに収斂すると言い切れるのか、については、私にはわからない、と言うしかないし、将来的にわかるのかどうかもわからない。能はまだ私にとって一つの謎である。

忠臣蔵と千両役者

浅草で平成中村座の「仮名手本忠臣蔵」を全部観る。今回は、中村屋中村勘三郎勘太郎七之助)一門に橋之助弥十郎亀蔵といったレギュラーメンバーに加え、松嶋屋親子(片岡仁左衛門、孝太郎)がゲスト出演したのが大きな話題で、連日大入り満員だったようである。平成中村座で古典の大作に取り組むのは、「義経千本桜」以来2度目で、前回は、渡海屋銀平が碇をかついででてきたり、といった普通では見られない演出も登場していたが、今回の忠臣蔵は、真っ向から古典に取り組んで新演出はしていない(討ち入りの場面自体が新演出なんじゃないか、という話はおいておくが)。

この真っ向からの忠臣蔵が、大当たりだった。関西にいるので歌舞伎自体余り見ていないのを割り引いても、ここ最近観た中では一番の出来である。特に、片岡仁左衛門の演技には、うならされた。AからDの4プログラムで、A、Bでは大星由良之助を、Cでは加古川本蔵を、Dでは不破数右衛門をやったのだが、心底うまいなぁ〜、と思った台詞回しは数知れず、決まってるよなぁ〜、と思った立ち居振る舞いも数知れず、結果、千両役者としかいいようがないわ、こりゃ、と思ったのが1回あった。

台詞術が優れている、と言ってしまえば簡単だし、義太夫狂言できちんとイキを詰めて台詞をしゃべっているのがすごい、と言えばなんとなく説明しているような気にもなるのだが、実際には舞台を見てもらえば一目瞭然で、言葉にするのはむなしい作業である。それでも、なんとか表現しようとすると、「台詞のテンポを自在に操りながら、息の切れ目を入れずに畳み掛けてしゃべることでもたらされる緊迫感と、その直後に息をつぎ間を取ることでもたらされる緊張からの緩和が観客に与えるカタルシス、しかも意味が全部わかる!!」という感じだろうか。う〜ん、我ながら舌足らずだ。

また、立ち居振る舞いも見事で、7段目の一力茶屋の場で、冒頭、目隠しをしてふらふらと酔態の態で現れた由良之助が、階段のところでおこついて(つまずいて、っていう意味ですけど、雰囲気がでるんでこっちを使います)、座り込みながら一歩階段にかける右足の色気といったらなかった。これぞ7段目の由良之助である。その昔、忠臣蔵の4段目で文楽の吉田玉夫師匠の使う由良之助が袖から駆け込んできたときに、「これが由良之助だっ!!」と思ったことがあったが、これからは、7段目は、この仁左衛門の由良之助が自分の中の基準になるだろう。

仁左衛門以外にも、梅幸写しだという勘三郎の判官切腹は非常に素晴らしかったし(勘平の演技に以前に見たときのリズム感が感じられなかったのは意外だったが)、橋之助(由良之助は比較されるので仕方ないが、師直と平右衛門はいい出来)、勘太郎(勘平の後半の台詞はお父さんそっくり)、七之助(お軽は熱演)、孝太郎(お軽は年の功、お石も健闘)弥十郎等もそれぞれよく頑張っていた。

古典には先人の工夫がこれでもかと詰まっているわけで、きちんとやればきちんと面白いんだ、という、当たり前だが忘れがちのこと(忘れさせられてしまうような舞台もあることは否定しないが)を再認識した。ただ、何といってもこの公演の白眉は仁左衛門であり、現代の千両役者の演技を堪能できたことが自分にとっての一番のご馳走であった。しばらくの間、仁左衛門の舞台は可能な限り見ることになるだろう。11月は歌舞伎座で「盟三五大切」を見る。楽しみだなぁ〜。わくわく。

三国志と吉田秀和

ブログを再開してすぐ長い眠りに入ってしまったわけですが、何もしていなかったわけではなく、インドネシアに出張に行って腹を壊したり、浅草で歌舞伎を見まくったり、三国志を読んだりしていました。

さて、ちくま文庫の井波律子訳の三国志を読み終えたのですが、印象としては、やはり曹操劉備の第1世代の頃の話がキャラクターも話も多彩で圧倒的に面白く、第2世代の話になるとそれらの縮小再生産という感が否めなかったです。まだ諸葛孔明が生きているうちはそれでもまだなんとか興味を繋げていけたんですが、第7巻の冒頭で孔明が死んでからはえんえんと続くエピローグを読まされている感じでした。まぁ、要するに尻すぼみなんですが、これだけ長い作品になると1巻くらいは面白さの余韻が残っていて惰性で読みきれてしまうので、全体には余り影響ありませんでした。というか、この長さで最初から最後まで面白いというのが逆にありえないでしょう。

事前の予想通り、文中に頻出する漢詩については今回も苦戦しました。せっかく原典訳で読むのであれば、漢詩の部分を楽しめてこそ意義があるとは思うのですが、結局、ほぼ漢詩部分は飛ばし読みで、全部を読み終わってから気になったものだけ遡って書き下し分と訳を拾い読みしました。これは漢詩に限ったことではなく、詩と文章が混在するような作品はどうも苦手です。一番困るのは和歌で、いまだに源氏物語を読みかけては途中で挫折するのは、途中の和歌でいちいちひっかかるからというのも大きな理由の一つです。そもそも和歌の意味するところがよくわからないし、考えて意味が分かったとしてもなぜそれほど重要なのかがよくわからない。最近、能をよく見に行くのですが、ここでも作品理解を妨げているのは和歌への理解不足のような気がします(能のテキストにはしょっちゅう和歌の引用が出てきます)。いい加減なんとかしなくてはと思うのですが、解決の糸口はまだ見つかってません。

さて、愚痴はそのくらいにして、三国志くらい長い話だと、それだけを読んでいるといことはありえないので、その間に他の本も平行して読むことになるのですが、たまたま、一緒に読んでいたのが、吉田秀和「世界の指揮者」(ちくま文庫)でした。これは、同名の著作に纏められている歴代の名指揮者に関する文章に、それ以外の媒体に発表された指揮者に関する文章やレコード評をまとめたもので大変読み応えのある本ですが、次から次へと登場する世界の名指揮者についての達意の文章を読みながら、これは「本紀」に対する「列伝」だなぁ、と思って読んでました。三国志には、曹操側にも劉備側にも、また孫権側にも、この人物のことをもっと読んでみたい、と思わせるキャラクターが何人も登場します。ただ、そのような「列伝」が成立するためには、歴史としての「本紀」が必要なわけで、例え個々の記述には意識されていなくても「列伝」の背後には「本紀」の存在が前提とされているのだと思います。そう考えてみると、吉田秀和の批評にとっての「本紀」とは何なのか、がとても気になってきました。私は、吉田秀和のいい読者ではないので、これがそうです、とは言えませんが、批評にとっての「本紀」とは何か、というのは、結構考えてみると面白い主題だと思います。

野田歌舞伎「愛陀姫」と腹芸

歌舞伎座で野田歌舞伎第三弾「愛陀姫」を観る。満員御礼。おめでとうございます。歌舞伎座では、いつも1階(もしくは3階)で観ているので、2階後方で見たのは初めてであった。野田歌舞伎の第一弾「研辰の討たれ」も第二弾「鼠小僧」も、初演時に歌舞伎座で観ており、個人的には、「研辰の討たれ」のときの客席の「これから何が始まるんだろう」というわくわくした雰囲気が忘れがたい。「農業少女」など野田さんの他の芝居を見ていてもそう感じるのだが、野田さんの作る戯曲は、「はからずもそのような状況に追い込まれてしまった主人公が、他人=民衆・大衆からの勝手な期待と要求に応えようとして、踊らされ、傷つき、挫折しながらも、そこに何らかの救い(それが客観的にはいかに悲惨であろうと)を見出す」という話なのだと思う。というか、野田さんの戯曲のどれを見ても、私にはそう見えてしまうのだ。

「研辰の討たれ」の守山辰次の場合は「あだ討ち」が、「鼠小僧」の棺桶屋三太の場合は「義賊という立場」が、そして「愛陀姫」では、愛陀姫の場合は「祖国復興」が、濃姫の場合は「祖国防衛」が、彼らの運命を翻弄することになる。ただ、オペラ「アイーダ」を忠実になぞった結果、愛陀姫の場合は木村駄目助左衛門(この命名は傑作!)「への」裏切りによる、濃姫の場合は木村駄目助左衛門「の」裏切りによる、それぞれの個人的な葛藤が、劇的な推進力として前面に出てくるため、前の2作に比べると主人公の翻弄されぶりと救われぶりへの共感度が若干少なくなったようにも思った。

今回見ていて気がついたことを一つ。渡辺保氏がご自身のHPで指摘しているように、歌舞伎では存在しない「傍白」(横に人がいるのに自分の内面をべらべらしゃべる、でもそれは隣の人には聞こえない、というせりふのこと。因みに、日本のマンガでは高度な発達をとげている)が、「愛陀姫」ではふんだんに使われている。その雄弁なせりふは、野田さんの巧みな言葉の使い方もあって聞くものを圧倒するわけだが、それを聞いているうちに、ここでは歌舞伎で非常に重要といわれているある要素が抜けていることに気がついた。それは「腹芸」である。「傍白」があれば、その人間が何を考えているのかについては自明であって、「思い入れ」や「腹芸」は不要になる。素人の思い付きではあるが、「腹芸」が重視されるようになってきたのは、明治以降、特に九代目団十郎以降という印象があるが、それは、「傍白」を許されない歌舞伎という演劇による、「近代化」への対応だったのかもしれない。

オペラと歌舞伎の両方の愛好者として、もう一歩だけ考えを進めてみるが、それではオペラには「言葉」しかなくて「腹芸」に相当するものはないのか、というと、それはちゃんとあって、それが「音楽」ではないだろうか。オペラでは「言葉」では言いつくせないものが「音楽」として鳴っているのだ、とすれば、オペラにとって作曲者が最も重要なのもうなずける。翻って、今回の「愛陀姫」では、「凱旋行進曲」など「アイーダ」の曲を邦楽器と洋楽器の合奏で演奏するという音楽的な挑戦も大きな話題の一つだったわけだが、その音楽が「腹芸」の消滅を補うほどの効果を挙げるにいたらなかったのが、今回見終わったあとの若干の違和感の原因だったようにも思う。ただ、歌舞伎座にはピットがないのでしょうがないのだが、今回の「愛陀姫」の完成版は、演奏テープではなく、生演奏での上演なのではないか、という気がしてならないので、ほぼ無理と承知の上で、一夜限りの生演奏での上演をリクエストしておきたい。まぁ、もしそんなプレミアム公演が実現したら、そもそも切符が入手不可能でしょうが。

北京五輪と中国五大小説

随分と間が空いてしまいましたが、またぼつぼつ書こうかと思います。

さて、連日普通の新聞がスポーツ新聞になってしまったかのような状態になっていた北京オリンピックですが、そろそろ大会も終わりが近づいてきました。ウサイン・ボルトの100M走がこの大会の白眉であることはスポーツファンなら異論のないところと思います。あのような100M走をオリンピックで見ることはもう二度とないかもしれない、と思わせるだけの「ぶっちぎり」感、というか、むしろ「違和」感と言ってもいいのですが、がありました。200Mも、同じく「ぶっちぎり」だったわけですが、こちらはちゃんと走って記録を出したという感じです。記録としてウサイン・ボルト(100M走、200M走)とマイケル・フェルプス(8冠)が、記憶としてウサイン・ボルトの100M走が残る大会ということで大会総括してしまっていいんじゃないでしょうか。あとは、五輪といえばマイナースポーツ、ということで、4年に1度しかみられないスポーツを色々と見られて堪能しました(カヌーの竹下選手の4位は、フェンシングの太田選手に負けない偉業でした)。日本の金メダルの数は、個人的には、マイケル・フェルプスといい勝負と思っていたので、十分健闘してると思います。五輪でメダルを20個もとれば、世界で10指に入るスポーツ大国ですから。

さて、4年に1度のオリンピックにちなんで個人的にも何かチャレンジしてみようかな、と思っていたところ、たまたま岩波新書で井波律子さんの『中国の五大小説(上)』を読みました。取り上げられている中国の五大小説というのは、『三国志』『西遊記』『水滸伝』『金瓶梅』『紅楼夢』の5つです。最初の3つについては、日本でもかなり知られていると思います。最大の特徴は、長い、ということでしょうか。横山光輝先生のマンガ版『三国志』はオリジナルは60巻までありましたし、北方謙三さんの『水滸伝』も文庫本で19冊あります。チャレンジするにはちょうどいい無謀さなので、この五大小説を読めるだけ読んで、もって北京オリンピック記念にしたいと思い立ちました。ついでに、4年後のロンドンオリンピック記念として、ディケンズ作品を全部読む、というのも思いつきましたが、こちらのほうはさすがに今すぐはできそうにないので4年後まで保留しておくことにします。

中国の小説に挑戦するのは、これが始めてではありません。学生時代に、『三国志』と『水滸伝』を平凡社の中国古典文学大系で読もうとしたことがあります。結果は、『三国志』は赤壁の戦いまでで挫折、『水滸伝』は一応通読しました。一番読んでいてつらかったのは、文中頻繁に漢詩が出てくることで、一応読み下しになっているのですが、下手に読もうとしてはそこにひっかかってしまってなかなか先に進めなかったという記憶があります。因みに、なぜこの2つを読もうと思ったかというと横山光輝先生のマンガ『三国志』と『水滸伝』を読んでいたからです。日本の『三国志』普及にとってこのマンガの影響力は絶大なものがあると思います(もう少し上の世代であれば吉川英治の『三国志』になるのでしょうか)。今回は、『三国志』については最初に新書を読んだ縁もあるので、ちくま文庫の井波律子個人訳を、『水滸伝』は一応原作を通読しているので、逆に北方謙三さんのものを読んでみるつもりです。『西遊記』は、TVドラマの印象(勿論、堺・夏目コンビのほうです)が強くて、逆に本は読んでないんですが、今回は、岩波文庫中野美代子さん訳で読んでみようと思ってます。『金瓶梅』は、徳間文庫のダイジェスト版は読んでますが、それよりも印象に残っているのは山田風太郎の『妖異金瓶梅』でして、これまた余談ですが、山田風太郎という作家には小説好きを虜にする魔力みたいなものがあります。忍法帳についてはそれほどいい読者ではなかった私も、一時期風太郎の明治ものにすっかりはまりました。関川・谷口コンビの「『坊ちゃん』の時代」をさらにひと捻りしたような感じで、実在、空想を問わず人物が縦横無尽に小説世界を往来して、次から次へと事件が起こっていくという、小説的な楽しさがぎっしり詰まった作品です。何か一つ読んでみたい、という方には『幻燈辻馬車』か『警視庁草紙』がおススメです。本題に戻って、5代小説最後の『紅楼夢』については、全くの未見です。というわけで、しばらくは中国物を耽読する予定ですので、また更新が滞るかもしれませんが、どこで挫折したかも含めてぼつぼつこのブログで報告したいと思ってます。

間とヴォイス

国立文楽劇場文楽を見に行く。余り体調がすぐれず、お恥ずかしい話ではあるが、何度か意識を失う。個人的には、舞台やコンサートを見ながら寝てしまうことについて、それほど違和感を持ってはいない。というのは、過去の経験から言って、一番典型的な爆睡パターンというのは、その作品に集中しよう、入り込もうと試みて、何らかの理由(今回の場合は体調の不良だったわけだが)によりそれに失敗してしまうことで引き起こされるものだからである。ただ漫然と見ている分には、実は寝ることもままならないのであって、変な言い方だが、寝るにも集中力が必要なのだ。

さて、公演のパンフレットに人間国宝竹本住太夫師匠のインタビュー記事が載っており、その中にとても興味深いくだりがあった。住太夫師匠曰く(原文は関西弁ですが、再現できません、残念)、義太夫というのは長いものだが、それは物理的に長いというよりも、観客が長く感じるということが問題なのだ。早く語ればいいということではなく、文章と文章の間にある間を語ることが必要で、それがないと語りに変化がなく、間が「抜けて」、短いものでも長く感じてしまう。それができるようになるまでには時間がかかるが、太夫はそれを目標に稽古しているのだ、と。

ええ話しや〜(ここだけ関西弁)。住太夫師匠は、ここ最近、本を出したり、インタビューに答えたりすることで、義太夫の奥深さを何とか後輩たちに、そしてファンや一般の人たちに伝えようとされていて、そのポジティブな姿勢には本当に頭が下がる。ここで住太夫師匠が言われていることは、文楽だけでなく、歌舞伎や能狂言でも同じで、せりふとせりふの間、音と音の間、息と息の間意、動きと動きの間、にどれだけ内容が詰まっているかで、その演目が主観的にいくらでも長くなったり、短くなったりしてしまうのが、日本の舞台芸術の特徴だと個人的には睨んでいる。

このときに面白いのは、中味が詰まっていればいるほど時間は短く感じるが、中味が詰まっていないと時間は長く感じるということである。また、日本の伝統音楽の演奏やあるいは演技においては、演者相互の「見計らい」というのが重要になってくるわけだが、その場合に計られているのは、音やせりふや動きそのものというより、その間にあるものなのだと思う。

さて、ここでこの考えをさらに広げると、この間とそこに詰まっているものの大切さというのは日本だけの話なのか、ということに思い至る。例えば、オーケストラでは音と音との関係が重要なので、それがきちんと聞き取れるように指揮をすべきだ、というドキュメンタリー映画チェリビダッケの庭」(だったと思うけど、うろ覚え)でのチェリビダッケの発言がある。また、栗山民也「演出家の仕事」での、演出にとって聞くことの重要性を強調した「ものを聞くことは、音と音の隙間から、何を聞き取るのかということ」という言葉も思い出される。また、英語で、彼は自分のVoice(ヴォイス)を持っている、とか、彼女は自分のVoice(ヴォイス)をまだ見つけていない、といった表現があるが、その場合のヴォイスというのも、実はこのことなんじゃないかと私は考えている。声という意味でのヴォイスは誰もがもっているわけだが、そのヴォイスが作り出す空隙に何が詰まっているのかが重要で、そこに何もなければ、彼/彼女はまだヴォイスを持っていないわけだし、そこに豊穣な、他のヴォイスと響きあうものがあれば、そこにはヴォイスがあるわけである。

こう考えてくると、間とヴォイスによる考察で、日本と西洋を問わず殆どのパフォーミングアーツについては説明がつくような気がしてくるのだが、実は一つこれだと説明できないことが残る。出し惜しみするわけではないが、そのことについてはまだはっきりと考えがまとまっていないので、お話しするのは別の機会に譲りたい。

さて、ヴォイスのことは文楽が終わって家に帰る道すがら、つらつらと住太夫師匠のインタビューについて考えているうちに「はっ」と思いついたわけであるが、思いついたあとで、そういえば最近どこかでヴォイスについて目にした記憶があったようだが、と考えてみて、どうしてもそこでは思い出せなかった。この文章を書いてから、どうしても気になるので、ググッて調べてみたところ、4/10の「内田樹の研究室」のエントリ「Voiceについて」だった。「内田樹の研究室」は定期的にチェックしていて、この記事は斜め読みで細部までそれほどきちんと読んだわけではなく、また、内容的にもまったく同じことを言っているわけではないのだが、改めて読み返してみると、かなり近いところで発想していることがわかる。それなりに一生懸命考えたことが、記憶の中で薄れかけていた何かにインスパイアされていたことがわかって、なんだオリジナルじゃなかったんだ、とがっかりする人と、おれもそれほどすてたもんじゃないな、と喜ぶ人がいると思うが、私は後者なので、単純にうれしかった。

洛中の花盛り―能・熊野の後で夜桜を見る

花見の季節である。能楽師の味方玄(みかた しずか)氏が主催するテアトル・ノウ公演『洛中洛外の花ざかり』を京都観世会館に見に行く。味方氏がシテで演じる演目は「熊野」で、桜の季節にはぴったりの演目である。

主人公である熊野(ゆや)は、故郷(遠江の国、今の静岡県)を遠く離れて京の都で平家の公達、平宗盛に仕えている。そこへ、故郷から母親の病気が重くなっているのですぐに帰国してほしい、という遣いが母の手紙とともに到着する。熊野は宗盛に帰国を願いでるが、宗盛は許さず、熊野を花見に同道する。

この母からの手紙を宗盛の前で読み上げるのが前半のハイライトである。宗盛の不同意は、その理由が熊野を花見に同道したいという一見どうでもよく思えるものであり、その前の手紙の内容で近々の母親の死を予感する観客(勿論、シテがちゃんと読まなければ予感できないのだが)は、こいつは親の死に目にもあわさないつもりか、なんて非道いやつだ、と思ってしまうのだが、後の展開を考えると、宗盛は実は熊野を故郷に返してもよいとは思っており、その前に花見に連れて行くことで熊野の沈んだ気分を少しでも引き立たせてやろう、という、いわば、ちょっとピントのずれた親切心を持っていると見方も可能である。言い換えると、熊野は、一刻も早く帰りたい、と思っているのに対し、宗盛は、花見で心をなぐさめてからでも遅くはないだろう、と考えている、ということである。こういった、当人はよかれと思ってやっているのだが当事者にはちょっと迷惑というのは今でもよくある話であり、一見非道い人間に見える宗盛は、実はちょっと勘違いしているが根はやさしい人間である、という解釈もそれほど無理でなく成り立つと思う。そう考えると、前半ですげなく帰郷を却下した宗盛が、後半あっけなく熊野の帰郷を許すというのも、権力者のきまぐれ、というよりは、最初からそうしようと思っていたから、ということになる。単に権力者の気まぐれに翻弄される熊野の悲哀として本作を見る視点もありだとは思うが、能曲「熊野」の持つ本質的な華やかさとしみじみとした哀れさ、そしてハッピーエンドの結末、を考え合わせると、個人的には、「宗盛勘違いおじさん」説を採ってみたい。イメージとしては、ワキは宝生閑さんでお願いしたいところである。

後半は、花見にでかける熊野が目にする京の春の景色の描写から、花の下での熊野の舞、小書き「村雨留」による舞の途中で雨が降って止めるくだりを経て、熊野が和歌で自らの思いを再度アピールし、宗盛が帰郷を許す、という流れになる。花見の華やかさと熊野の哀れさをどうバランスさせて表現するかがポイントだと思うが、味方氏は熊野のシテは2回目ということで、前回は華やかな「熊野」だったが、今回は悲しみを表現したい、との意気込みで臨んだそうである。それは、十分に達成されていたと思う。部外者に気楽さもあって無茶なことを言うが、ちょっと気になったのはシオリ(片手を面にかざすことで泣くことや悲しみを表現する能の型)のことで、その前の謡や動きで十分に悲しみは表現されているので、わざわざシオリをやらなくてもいいのではないかな、と感じるところが2か所ほどあった。無論、型はきっちり決まっているわけで、実際にシオリを抜くことはできないとは思うのだが、シオリをしていてもしていないような、それでいて悲しみだけが伝わるような、そういったやり方はありえないものか、と舞台をみながら夢想してしまった。

さて、せっかく「熊野」をみて花見気分になったので、終わってから京都で花見をすることにした。最近は、桜のライトアップがそこここで行われているので、見に行くところはたくさんある。まずは、歩いて丸山公園に行ってみた。2週間ほど前に東山花街道でライトアップをやっていた際は「現代いけばな展」としてアートな空間となっていたのだが、今回は一転して、屋台が立ち並び、お酒の匂いが空中に漂っていそうな、完全なお花見モードの空間になっていたのが笑えた。さらに、立ち並ぶ屋台の中にインド料理とペルシャ料理のそれを発見したのも興味深かったのだが、一人なのでさすがにこの空間にはなじめず、早々に退散して祇園白川沿いの桜のライトアップに向かう。これは、短いがなかなかのおススメだった。川の向こうが祇園の料理屋さんになっていて、川を挟んだお見合い状態になるのが少し気にはなるが、桜の種類も多く、咲きぶりもちょうど満開で、花見気分が満喫できた。

堪能したあと、高瀬川沿いを四条から五条までライトアップされた桜を見ながら歩き、京阪と地下鉄を乗り継いで二条城に向かう。祇園のあたりだとかなり満開に近かったのだが、二条城はソメイヨシノ以外のシダレザクラサトザクラヤマザクラはまだつぼみだった。ただ、桜の数はかなりの本数に上るので、1週間くらい後にくればちょうど見ごろかなと思う。二条城の地下鉄の駅のポスターで、清水寺でも桜のライトアップをやっていることがわかり、「熊野」の花見の舞台である清水を見ずして今日の出来事は完結しないと思い、嵐山の予定を急遽変更して清水に向かう。さすがに公開初日で、桜の咲きぐらいはちらほらであったが、今日の舞台を思い返しながら、ゆっくりと歩く。こういうのもなかなか風情があっていいものである。傍からみると、おじさんが上を見ながらふらふら歩いているだけなのだが。

清水は春と秋に定期的にライトアップをしているため、夜に行くこともあるのだが、境内が広いので一回りしてくるとかなり体が冷えている。門の外に立ち並ぶみやげもの屋の中に温かいお茶を出してくれるお店があり、いつもついふらっと立ち寄ってしまう。店の中に入らないと受け取れないのが味噌で、空の茶碗を返却するところはさらに奥にあり気がつくとすっかり客にされてしまっている、という寸法である。お茶のただ呑みによる罪悪感に負けて、それが手だとわかっていてもつい京都の極めて有名な和菓子を買わされてしまうのだが、それはいつも会社でのおやつに提供されるので、同僚は、よほど私がその和菓子を好きだと思っているに違いない。当然のごとく、今日もお茶を飲み、和菓子を買い、家に帰り、会社に行き、おやつを差し出す。

最後に余談を2つほど。テアトル・ノウの狂言茂山千五郎・七五三(しめ)・茂による「真奪」だった。千五郎・七五三コンビのこの演目を最近続けて見たが、太刀を奪い返そうとして茂を取り押さえた七五三が、早く縄をかけろ、と千五郎にいうと、今から縄を結うから待ってくれ、と言い返してからの後半のどたばたが相当に面白い。昔は、千五郎・七五三の兄弟を見ても似ていると感じたことはなかったのだが、最近は共演する舞台を見るたびに似ているなぁ、と思うし、演技にもそこはかとない味わいが出てきたように感じる。

あと、もう一つの能の演目が「鞍馬天狗」だったのだが、当日会場で観客のために配られた新聞記事のクリップの中で、味方玄の三女の和(のどか)が3歳で牛若丸役で初舞台、と書いてある記事を読んで目が丸くなった。単純に二女の和が牛若丸役、というのと、三女の梓(あずさ)が3歳で初舞台、というのを混同しているだけなのだが、3歳で初舞台で牛若丸は、普通に考えて無理だろう、いくらなんでも。武士(じゃないけど)の情けで新聞の名前は出さないが、たとえ担当者が間違えても、せめてデスクがチェックしてくれないと困るよね。でも、3歳の初舞台の牛若丸を想像して、ちょっと楽しくなったのは事実である。