白洲正子と鼓の二打ち

先日、ある機会があり、20人くらいの外国人を相手に能狂言の解説をした。1時間の予定だったのだが、ビデオやDVDを見せているうちに興がのってしまい、結局20分ほどオーバーしてしまった。全くの偶然だが、使った狂言のDVDに収録されていた演目(「附子」「濯ぎ川」)が両方ともその場に自分が観に行っていたものだったのが妙におかしかった。

さて、レクチャーをする前に気分を能らしくしようかなと思い、白洲正子お能・老木の花』を読んだのだが、『お能』のほうは書いてある内容が難しくて逆に考え込んでしまった。私には、『お能』での白洲正子の態度は、玄人が能を極めるのと同じようなあり方で能に接することを理想としているように思えたのだが、その余りの困難さにちょっとめまいがした。約すると、能の玄人がただ只管に舞と謡を練習しつくすことで余人を持って到達できない何らかの境地に到達するように、観客もただ只管能を見、能に向き合うことでよき観客となる、ということなのだろうが、そのようなことが可能なのは白洲正子を含む、ごく限られた人間だけなのではなかろうか。部分だけよくても仕方がない、能は中心がない丸いものなのだから、一部が全体であり、全体もまた一部なのだ、という謎めいた話が冒頭近くにでてくるが、『お能』という本自体の印象もこれに似ている。今の私にはレベルが高すぎるので、もう少し能のことがわかるようになったときに、再度読んでみようと思う。

それに比べると併録されている梅若実聞き書き、と友枝喜久夫のことを綴った『老木の花』は、かなり読者にも親しみやすい文章になっている。正確に言うと、聞き書きでは白洲正子の質問に答える梅若実が、『老木の花』では友枝喜久夫のことを語る白洲正子が、とても楽しそうなのである。こういう文章は読むほうも楽しくなるし、『お能』にこの2つを組み合わせた編集者のセンスが光っている。

個別と全体の話にもう少し拘ってみたい。私は能一番を全体として観賞できる境地にはまだ到底達していないので、能の見方は、演目についての知識を予め(大まかにだが)仕入れてから会場に行き、それでも眠くなったら素直に眠り、でもおおこれはっ、というところはカッと目を見開いて見て、観終わった後でそのことをつらつら考える、というごくありふれたものにすぎない。これは何も能に限ったことではなく、洋の東西を問わずクラシックの作品に臨む時にはいつでもそうしている。ただ、能についていうと、自分で謡や舞をやってみることからアプローチしていないという意味では、実は鑑賞者としてはとても珍しいスタイルなのではないかと思っている。そのようなスタイルをとる必然の結果として、どうしても演目全体ではなく、演目中のある個別の場面や演技、出来事と結びついた印象として演目を記憶していくことが多くなる。能の場合は、特にその傾向が強いようで、大抵は後場のある場面のシテの面の表情に釘付けになるというパターンが多いわけであるが、例えば、先日見た、大槻文蔵のシテによる「木賊」(とくさ)で、大鼓の亀井忠雄が打った鼓の二打ちはまさにそのようなものであった。うろ覚えではっきりどの場面といえないのが残念なのだが、全体でいうとおよそ半ばすぎあたりで、亀井忠雄は、突然(と私には見えた)、カッ、カッと二度、鼓を打ちつけた。その音は、一つの音の矢となって、私の体を貫通し、はるか彼方へと消えていった。あの鼓の音は、今でも耳の奥に残っており、忘れ得ぬこの鼓の二打ちをもって、私は「木賊」を記憶することになるだろう。でも、それが「木賊」という能の全体を現しているのか、また、「木賊」という能がその二打ちに収斂すると言い切れるのか、については、私にはわからない、と言うしかないし、将来的にわかるのかどうかもわからない。能はまだ私にとって一つの謎である。