北京五輪と中国五大小説

随分と間が空いてしまいましたが、またぼつぼつ書こうかと思います。

さて、連日普通の新聞がスポーツ新聞になってしまったかのような状態になっていた北京オリンピックですが、そろそろ大会も終わりが近づいてきました。ウサイン・ボルトの100M走がこの大会の白眉であることはスポーツファンなら異論のないところと思います。あのような100M走をオリンピックで見ることはもう二度とないかもしれない、と思わせるだけの「ぶっちぎり」感、というか、むしろ「違和」感と言ってもいいのですが、がありました。200Mも、同じく「ぶっちぎり」だったわけですが、こちらはちゃんと走って記録を出したという感じです。記録としてウサイン・ボルト(100M走、200M走)とマイケル・フェルプス(8冠)が、記憶としてウサイン・ボルトの100M走が残る大会ということで大会総括してしまっていいんじゃないでしょうか。あとは、五輪といえばマイナースポーツ、ということで、4年に1度しかみられないスポーツを色々と見られて堪能しました(カヌーの竹下選手の4位は、フェンシングの太田選手に負けない偉業でした)。日本の金メダルの数は、個人的には、マイケル・フェルプスといい勝負と思っていたので、十分健闘してると思います。五輪でメダルを20個もとれば、世界で10指に入るスポーツ大国ですから。

さて、4年に1度のオリンピックにちなんで個人的にも何かチャレンジしてみようかな、と思っていたところ、たまたま岩波新書で井波律子さんの『中国の五大小説(上)』を読みました。取り上げられている中国の五大小説というのは、『三国志』『西遊記』『水滸伝』『金瓶梅』『紅楼夢』の5つです。最初の3つについては、日本でもかなり知られていると思います。最大の特徴は、長い、ということでしょうか。横山光輝先生のマンガ版『三国志』はオリジナルは60巻までありましたし、北方謙三さんの『水滸伝』も文庫本で19冊あります。チャレンジするにはちょうどいい無謀さなので、この五大小説を読めるだけ読んで、もって北京オリンピック記念にしたいと思い立ちました。ついでに、4年後のロンドンオリンピック記念として、ディケンズ作品を全部読む、というのも思いつきましたが、こちらのほうはさすがに今すぐはできそうにないので4年後まで保留しておくことにします。

中国の小説に挑戦するのは、これが始めてではありません。学生時代に、『三国志』と『水滸伝』を平凡社の中国古典文学大系で読もうとしたことがあります。結果は、『三国志』は赤壁の戦いまでで挫折、『水滸伝』は一応通読しました。一番読んでいてつらかったのは、文中頻繁に漢詩が出てくることで、一応読み下しになっているのですが、下手に読もうとしてはそこにひっかかってしまってなかなか先に進めなかったという記憶があります。因みに、なぜこの2つを読もうと思ったかというと横山光輝先生のマンガ『三国志』と『水滸伝』を読んでいたからです。日本の『三国志』普及にとってこのマンガの影響力は絶大なものがあると思います(もう少し上の世代であれば吉川英治の『三国志』になるのでしょうか)。今回は、『三国志』については最初に新書を読んだ縁もあるので、ちくま文庫の井波律子個人訳を、『水滸伝』は一応原作を通読しているので、逆に北方謙三さんのものを読んでみるつもりです。『西遊記』は、TVドラマの印象(勿論、堺・夏目コンビのほうです)が強くて、逆に本は読んでないんですが、今回は、岩波文庫中野美代子さん訳で読んでみようと思ってます。『金瓶梅』は、徳間文庫のダイジェスト版は読んでますが、それよりも印象に残っているのは山田風太郎の『妖異金瓶梅』でして、これまた余談ですが、山田風太郎という作家には小説好きを虜にする魔力みたいなものがあります。忍法帳についてはそれほどいい読者ではなかった私も、一時期風太郎の明治ものにすっかりはまりました。関川・谷口コンビの「『坊ちゃん』の時代」をさらにひと捻りしたような感じで、実在、空想を問わず人物が縦横無尽に小説世界を往来して、次から次へと事件が起こっていくという、小説的な楽しさがぎっしり詰まった作品です。何か一つ読んでみたい、という方には『幻燈辻馬車』か『警視庁草紙』がおススメです。本題に戻って、5代小説最後の『紅楼夢』については、全くの未見です。というわけで、しばらくは中国物を耽読する予定ですので、また更新が滞るかもしれませんが、どこで挫折したかも含めてぼつぼつこのブログで報告したいと思ってます。