時代劇と歌舞伎の間−明治座五月花形歌舞伎公演『男の花道』を観て

 明治座五月花形歌舞伎公演をブログやSNSに感想を書くと、プログラムと昼食付きでチケット代も割安になるという大変お得なセットで観に行きました。とても、いい企画だと思います。明治座だけでなく、他の劇場でもぜひやってほしいです。
さて、猿之助さんと愛之助さんがメインの座組みで、中車さんも出るのが話題になっていますが、昼の部の『男の花道』が大変興味深いお芝居でした。
もともとが長谷川一夫さん主役の映画だったということもあり、新派の『鶴八鶴次郎』や映画の『残菊物語』のような芸道もので、歌舞伎というより時代劇の色彩が強いものかと思いますが、今回、一番感心したのは、昔目の手術をしてもらった玄碩(中車が好演)からの手紙を舞台上で受け取った歌右衛門猿之助)が、舞台を途中で止めて、これから玄碩のところに行かせてほしい、と、定式幕を閉めた前で観客に訴えるシーンです。これは、劇中の観客と実際の観客が二重写しになっており、必死で理由を説得する歌右衛門に対し、客席の後方に陣どった役者がそれに対して憤ったり、最後には応援したりといった段取りで進むのですが、平成27年の年齢性別出身も多様な観客を、歌右衛門を一目見ようとやってきた江戸時代の観客に見立てて説得するというのは大変な力技です。普通にやれば、まず失敗間違いなしという高すぎるハードルだと思います。恐らく、これがそれほどの違和感なしで成立するのは、役を演じている役者と役の歌右衛門が無理なく二重写しで見えるほどの大スターが、有無を言わさぬ存在感で観客の違和感をねじ伏せたときだけだと思います。
私が猿之助さんはすごいなと思うのは、まず、そのような難しさがあることを承知の上でこの演目を選んだこと、さらに、とびきりの熱演によって、演劇としてこの場面を成立させたことです。素直に感心しました。
実際、長谷川一夫花柳章太郎のような、歌舞伎や芸事の要素が演目の中に入ってきてもさらりとこなせるような男優は、現代においては歌舞伎役者しかいないわけなので、特に、この手の演目は歌舞伎役者として年齢を積み重ねるとだんだんとする機会もなくなっていくであろうことを考えると、このタイミングで猿之助さんがこの演目を選んだのは至極真っ当であったかと思います。
 あと、その前の市川右近さんの『矢の根』についても一言だけ。歌舞伎十八番のなかでもこの演目は、稚気で見せるか、踊りで押すか、というのが普通だと思いますが、右近さんの行き方としては、むしろ、昔、歌舞伎座で十七代目の羽左衛門さんが、結果的に最後の演目として『矢の根』をやったことがありますが、そこを目指して写実的・実事的な要素を磨いていくほうが合っているのではないかと思いました。