タルコフスキーとオペラ

 古典芸能は予習が大切。これは私の観劇上の第一のモットーである。それでは何が古典なのか、というのは、実は考え始めるとかなりややこしい話なのだが、ここではとりあえず、不特定多数の個人または集団によって、再三再度上演されることが演じるほうにも、観るほうにもある程度了解されているような演目、としておく。

 さて、私はオペラを見に行く前には、たいていDVDを買って予習をするのだが、それほどオペラに詳しいわけではないので、選び方はかなり適当である。そのため、DVDを見てみたら短縮版だったり(パルジファル)、もろ映画だったり(椿姫)、古かったり(多数)、色々するのだが、時には、見に行ったらDVDと同じ歌手が歌っていたり(ドローラ・ザージックのアムネリス王女@MET)して、なんとなく得した気持ちになるときもある。今回は、そんななかでも一番得したなぁ、という話である。

 何年か前に、メトロポリタンオペラでムソルグスキーのボリス・ゴドゥノフを見に行くことになった私は、その当時はまだあった隣のタワーレコードに予習用のDVDを買いにいった。確か2種類あったのだが、なにげなくそのうちの一つを手にとって買い、家に戻って観てみた。そして、驚いた。その演出の切れのよさ、解釈の鋭さ、そして、映像の美しさ、劇的な緊張感の高さ、に。

 オペラのDVDは、特別に映画仕立てで撮っているものはともかく、劇場でやっているものを録音した場合は、映像作品としてそれほどすぐれたものにはならないのが普通だし、演出についても実際にみるとよくわかる場合でも映像だとポイントがずれている場合がままある。ところが、このDVDでは、勿論、ボリス・ゴドゥノフ演出の定番として、自らの犯した罪におびえるボリス・ゴドゥノフが精神的に崩壊していくさまが映像的、音楽的にきちんと描かれている。しかし、特筆すべきなのは、それに加えて、暴君となったボリス・ゴドゥノフを打倒するために立ち上がった民衆が暴力で帝位を奪う姿を一本の血まみれの斧で象徴させることにより、これに引き続くロシアの暗黒時代という史実にそうだけでなく、暴力の連鎖による権力の交代という現代においても極めてリアルといえる現象をも射程に入れた演出がなされていることである。さらに、影の主人公とも言える聖愚者(ずだ袋を頭からかぶり最後まで顔がみえない、という造形も秀逸!)が、虐殺された市民の遺体が折り重なる広場でアリアを歌うシーンなど、一度見たら忘れられないインパクトを残すシーンもある。

 見終わってから、こりゃいったいどんな演出家なんだ、と思ってDVDの後ろをみると、Andrei Tarkovskyと書いてある。これって、タルコフスキーって、あのタルコフスキー?えー、オペラの演出なんかやってんの、ひょえー、というのがその時の感想だった。その後、調べてみて、タルコフスキーのオペラ演出は、ほとんどこのボリス・ゴドゥノフ1本だったこと、オリジナルは1983年にイギリスのロイヤルオペラで上演されたが、DVDになっているのは、本人の死後にマリインスキー劇場ゲルギエフが振ったものを撮ったものだったとわかった。本人死後の再演でこれだけ冴えてるんなら、オリジナルはどんだけすごかったのか想像もできんな、というのが最初に思ったこと、そして、タワーレコードで2枚のうち1枚を引いた私の指運もなかなかのもんだな、というのが次に思ったことだった。

 いつかボリス・ゴドゥノフを見に行く前に、このDVDをもう一度見返すのが今から楽しみである。