富樫は知っていたのだろうか?

能「安宅」を見る。安宅は、能面を用いずに素面で演じる直面(ひためん)ものの代表曲であり、かつ、歌舞伎十八番のうちの「勧進帳」の元となった演目としても知られている。歌舞伎の「勧進帳」の成立については、ちくま新書渡辺保勧進帳』の記述が簡潔にまとまっていてわかりやすいが、残念ながら今は絶版のようである。

能の「安宅」は、上記のような理由もあって、結構一般的に知られている曲であるが、案外見たことがあるという人は少ないかもしれない。というのは、上演に必要な人数が能としては格段に多いからである。主役である弁慶(シテ)のほかに、一緒に旅をしている同輩(ツレ)が9人もおり、さらに、義経(子方)と、狂言方がつとめる強力を入れて一行は総勢12名となる。他方、ワキ方は富樫と従卒の2名なので、舞台上には合計14名がいることになる。これは、私がかってみたことのある能の演目で最も多い出演者数である(瞬間的にはもっと多い演目もあるが、ずっと舞台にいるという意味では一番多い)。歌舞伎との対比でおもしろいのは、歌舞伎のほうが登場人物が少ない(歌舞伎では、弁慶、富樫、義経、同輩4名(四天王という)、従卒3名で計10名)ことである。人数も少ないだけでなく、義経側と富樫側の人数もよりバランスしている。これは、「安宅」と「勧進帳」を見たときの印象の違いにもつながっているように思われる。

 「安宅」をみて、一番強く感じたのは、これは能では珍しい集団劇だ、ということである。弁慶は義経一行の実質的リーダーであるが、同輩たちは単に弁慶に全てを任せた傍観者ではなく、それぞれに自らも義経を守護しようとして行動する。そこには劇としてのクローズアップの大小はあるが、質的な違いは余り感じられない。その典型が、義経の扮装が咎められたあとの富樫への詰め寄りの場面である。10人の山伏にじりじりと詰め寄られれば、富樫でなくても「お通り候へ」と言わざるを得ないだろう。まぁ、あそこで「お通り候へ」といわないと富樫は客席に転がり落ちてしまうのだが。富樫の最初のほうのせりふに「あら無益や、問答無用」(これは歌舞伎の言い方かも)というせりふがあるが、この詰め寄りの場面では義経一行のほうが断然、問答無用である。義経一行は、集団の力で、富樫に率いられた集団としての関所を突破したのだ。

 ところが、歌舞伎における富樫は能のそれから相当キャラクターに変更が加えられている。特に違うのは、明らかに富樫は強力が義経と知っていながら通している、という点である。上にあげた渡辺保氏の著作によれば『義経記』中の記述が、義経と知りながら通したという設定のもとになっているようだが、この富樫が実は知っていたという事実の導入により、劇の性格は大きく変化をとげることになる。つまり、義経一行の集団劇としての「安宅」から、弁慶と富樫の間の対決と友愛の対話劇としての「勧進帳」に。そこで、この文章のタイトルとした質問に立ち戻ると、能の「安宅」では、畢竟、富樫は強力が義経と知っていても知らなくても物語には全く関係ないのである。劇としての「安宅」のドラマツルギーは、常に集団としての義経一行から発している。他方、「勧進帳」での富樫は、義経が強力となっていることを知りつつ通さなくてはならない(とは行っても、勧進帳の読み上げの段階くらいから知っていたような演技はやりすぎだが)。弁慶と富樫の友愛と対決の劇としての「勧進帳」は、富樫がそのことを知っていることによって成り立っているからである。