曽根崎心中と「立迷ふ」男

国立文楽劇場11月文楽公演「吉田玉男一周忌追善」で「曽根崎心中」を見る。「曽根崎心中」は、近松門左衛門51歳の作で、後に世話物と呼ばれることになる一連の作品の記念すべき第1作である。因みに、世話物というのは要するに江戸時代における現代劇で、江戸時代における時代劇は時代物と呼ばれる。時代世話というややこしい用語もあるが、時代物の中で内容や筋が世話物らしい段という意味である(ように思う)。曽根崎心中が大ヒットしたことで近松は次から次と心中をテーマとした作品を書くようになり、その中でも「心中天網島」や「恋飛脚大和往来」は、「曽根崎心中」と並んで、今でも歌舞伎や文楽でよく上映されている。例えば、「心中天網島」などは、登場人物の善意が全て空回りして、主人公を心中という状況に落とし込んでいく巧妙なプロットや、一見無慈悲に見える行動が実は親切心から発している(歌舞伎用語でモドリという)という複雑なキャラクター設定など、一筋縄ではいかない内容を持っているが、「曽根崎心中」は第1作ということもあって、登場人物の善悪もはっきりしており、プロットもストレートで、比較的とっつきやすい演目とはいえるだろう。

 しかも、現在上演されている「曽根崎心中」は、江戸期を通じて作られた改作ではなく、戦後になってから原本に忠実に新作として作られたものであり、実は、最古にして最新の作品なのである。これは、曽根崎心中を見たときのなんとなくすっきりした印象にも通じている。

 さて、昨年お亡くなりになった人形遣い吉田玉男師匠は、この「曽根崎心中」の復活初演以来、1136回にわたり主人公の徳兵衛をつとめられており、私も最晩年ではあるが、何回かその舞台を拝見する機会に恵まれた。玉男師匠は、義太夫の文章と三味線の音楽に対する深い理解に基づいて、決して余計なことはせずその役の性根をとらえて(歌舞伎の用語を使うと、つねにその役のニンとは何かを大切にされて)人形をお遣いになっていて、「仮名手本忠臣蔵」の由良之助や、「菅原伝授手習鑑」の菅相丞などいくつも深く印象に残った作品があるが、この徳兵衛もそのようなお役の一つであった。

 以前一度玉男師匠の徳兵衛を拝見した際に、道行の最後の最後、徳兵衛がお初に刃を突きたてようとする瞬間に、ふと人形の視線がそれたように思われたことがあり(大げさにいうとミリ単位の動きなので、私の見間違えという可能性も勿論あるのですが)、これはどういうことなのだろう、と不思議に思っていた。今回拝見して、実はこの疑問にある答えが出たのだが、それは新しい劇場機構である字幕装置のおかげでもあった。なんとなく劇の始まりを待っていた私は、伊達太夫さんの語りだしとともに字幕装置に浮かび上がった単語を見て、「あっ」と思ったのだが、そこには一言「立迷ふ」と書いてあった。大げさにいうと、この瞬間、すべてのことがつながった。徳兵衛の心中相手であるお初が、いくらなじみとはいえ、なぜ自分が迂闊に信用した人間にまんまと詐欺にあってしまうような徳兵衛と心中するのか、そこのところが今まではよくわかっていなかったのだが、徳兵衛は状況に流されて「立ち迷って」いるのであって、実は、死に向かって一直線に生きている(何か変な表現ですが)のはお初だったのだ。徳兵衛は、お初に促されるように死への道を辿っていくのだが、最後までお初を道連れにすることを迷っているのだ。表面に現れてくる現象だけ言えば、徳兵衛はお初を道連れに無理心中したことになるが、実は、お初が徳兵衛を道連れにしたのかもしれない。そう考えると、生玉神社での二人の会話でのお初のせりふで唐突に出てくる三途の川への言及や、有名な天満屋の縁側でお初の足を首にあてて心中の意思を示すシーンもなるほどと合点がいく。近松の描く男性主人公が「情けない」色男である、というのは歌舞伎や文楽のファンなら誰でも知識としては知っているわけだが、単に知っていることと、今回のようになるほど、と腑に落ちるのはやはり違うわけで、とても得をした気分になって帰ってきた。

 最後に一つ、「曽根崎心中」での私のお気に入りのシーンをご紹介します。道行の最後のほうで、覚悟を決めたお初の顔がとても美しい、という床本の文章があります。私は、このせりふを聞くと必ずお初の顔を改めて眺めますが、いつ見てもこのシーンでのお初の人形の顔は本当に美しいです。床を語る太夫、音楽を付ける三味線、そして人形を使う人形遣いの三業が一つになって作り出す美の一つの典型がここにあると思います。