ニューヨークシティバレエとバランシン

 日本でのバレエの公演は基本的に2つのパターンがあります。一つはバレエ団によるストーリーバレエ(チャイコフスキーの三大バレエが典型)の上演で、もう一つはスーパースターの名前を冠した見取り(歌舞伎用語で、要するに「いいとこどり」ということ)公演です。現代バレエの公演は東京近辺ではある程度行われていますが、上記の2つに比べると割合は少ないです。ニューヨークでニューヨークシティバレエを見たときに衝撃的だったのは、ストーリーバレエでもスーパースター公演でもないバレエが普通に上演され、それに相当数の人が見に来ている、しかも、そこで行われているバレエがおもしろい!ということでした。

 ニューヨークシティバレエのシーズンは10月に始まりますが、そこから年内一杯はチャイコフスキーの三大バレエの一つである「くるみ割り人形」を延々と上演し続けます。これはNYの風物詩になっていて、バレエ好きな人であれば一度は見ておきたいものですが、今回とりあげるのはこの公演ではありません。「くるみ割り人形」が終わったあと2月まで続く冬シーズンの後半と4月から6月まで続く春シーズンがニューヨークシティバレエの真骨頂です。主なレパートリーとして上演されるのは、バランシン、ロビンス、マーティンスの作品です。これに客員振付家(Choreographer in residence、私がNYにいるときは、クリストファー・ウィールドンでした)や現在活躍している振付家への委嘱作品が混じります。

 元シティバレエのスターダンサーで現芸術監督のピーター・マーティンスの作品はクラシック系の現代音楽を使ったものが多く、その点でずいぶん勉強になりました(時々爆睡しましたが)。マーティンスについては、色々見た作品そのものよりも、シティバレエのロシアツアーを撮ったドキュメンタリー映画「バランシンの軌跡をもとめて」の中での芸術家らしい狷介さが印象に残ります。一幕でチャイコフスキーのセレナーデを振ったあとで、いきなり団員を集めて控え室で次に振るストラビンスキーの練習を始めるゲルギエフ(当然、第ニ幕は大遅延)と、コンサート終了後の船上パーティーでそのことを思い切り皮肉るマーティンスのくだりは最高に笑えます。

 ロビンスは、ブロードウェイでの「ウェストサイドストーリー」の振り付けが有名ですが、実に色々な種類の作品を振付けています。作品をみると、ロビンスは、同時期にシティバレエを率いていたバランシンの作品と振り付けの色合いが重ならないように苦心していたのではないか、という印象を受けます。個人的に好きなのはフィリップ・グラスの作品に振付けたグラス・ピースという作品です。

 前置きが異常に長くなってしまったのですが、今回とりあげたいと思っているのはニューヨークシティバレエの創設者にして20世紀最大の振付家(と私は思ってますが)のジョージ・バランシンのことです。バランシンの振付は、明確なストーリーのない抽象的なものであることに最大の特徴があるわけですが、ダンサーの動きそのものによって音楽の流れを表現してある種のストーリーを作ろうとしているとも言えます。ニューヨークに来る前も、恐らく1回か2回くらいは振付作品を見ているにもかかわらず、そのときはまったく印象に残っていなかったのですが、ニューヨークに到着してから見た「シンフォニー・イン・C」で、見ている途中で突然振付がおもしろくなり始め、最後のほうは食い入るように舞台を見ている自分に気がつきました。

 そのときに思っていたことは、「なぜ、ただ足をあげ、手を振っているだけの踊りがこれほどおもしろく感じるのか」ということです。この問いへの答えは、今もってはっきりとはわかっていないのですが、それからもいくつかのバランシンの振付を見ていて気がついたことがあります。それは、バランシンの振付には、足をあげ、腕を振ることに対するある確信がある、ということです。言い換えると、どの位置にどのように足をあげ、腕を振っても、それは振付家の自由ですが、それが一度決まったときに、バランシンの振付ではその動きはそれ以外にはありえない、という堅牢さを備えてしまう、ということです。振付という行為に、恣意性(どう振付けてもよい)と一回性(この振付しかない)を同時に感じさせる、これが今のところ私の思いつくバランシンの振付の一番の独特さです。これは、ルーチョ・フォンタナの「やぶれたキャンバス」(キャンバスにナイフで切ったあとがズバッと入っているやつです)にも通じるものがあります。

 さて、そのような特徴は、いわゆるモダンダンスやモダンバレエの振付家であれば、誰の作品にでも言えるのではないか、という指摘もあるでしょうし、私もそう思うのですが、バランシンがそれらの振付家と違うのは、その振付に対する確信の度合いが違う、ということです。シンフォニー・イン・Cという作品が1946年にアメリカで、ロシア人であるバランシンによって振付けられたというのはとても興味深い事実です。第2次大戦直後の、東西冷戦が激化する前の、アメリカが自らの過去と現在と未来に確信が持てた幸運な一瞬をとらえた振付であり、その素朴ともいえるバレエの未来への信頼の表出が、いつでも見るものを幸せにするのだろうと私は考えています。

 2005年に、私の好きな振付家の一人であるボリス・エイフマンがシティバレエからの委嘱を受けて、バランシンに捧げると銘打った"Musagète"という作品を作りました。その作品の中に、それまでバランシンのように自由に、かつ確信をもって手足を動かしていたダンサーたちが、一瞬にしてその動きをとめ、そのダンサーの間を歩いてきた一人のダンサーが観客席を一瞥して立ち去るというシーンがあります。そのシーンを見て、私は、バランシンの持ちえた幸せな時間はすでに存在せず、足をあげることも、腕を振ることも、不自由に不確かになってしまった現代において、それでもバランシンの衣鉢をつぐ、というエイフマンの心意気を感じ、ちょっといい気分になりました。このような気鋭の振付家の作品を見られるのも、シティバレエの優れたところだと思います。

 書いているうちに、シティバレエのバランシンの作品をみたくなってきました。実は、12/20のギエムのびわ湖ホール公演で、東京バレエ団による「テーマとバリエーション」(バランシン振付)がプログラムに入ってまして、勿論、行くつもりなのですが、「ちゃんと踊ってくれよー、日本じゃめったにみられないんだから、頼むよー本当にー」とやきもきしてます。ああ、楽しみだけど、こわいわぁ。